田舎女医の小言

外科医やってます。人生で溜まったネタを放出していきます。

食べることは生きること。点滴での栄養〜最後はどうやって死のうかな④

シリーズ記事になります。

今回は、③でのコメント欄の補足になります。

 

最後はどうやって死のうかな

①日本人の死因  人は必ず最期がきます

②スタンダードな死に方・病死 病死では、どういう風に体が弱っていくか

③老衰・認知症でのラスト 老衰=安らかにきれいな死ではない

④食べることは生きること。点滴での栄養

 

 

 

食べられなくなったら点滴?

 

点滴は医療行為です。

血管内に、細い管を置いておくんです。自然な状態から、結構遠いです。

 

なので

病気がない場合、

つまり点滴で何かが治る見込みがないときは、

あまり使えません。

というか、使うべきではない、です。

医療を行うということは……医療費がかかるということ。

医療費の1割負担の後期高齢者の場合、残りの9割は税金からの支出になります。

 


食べられない原因

 病気であれば点滴も使えます(期間、治る見込み、年齢にもよります)

 老化であれば使えるか非常に微妙なライン(病名を無理につけるという現状……)

 認知症であれば、点滴は絶対に使えません(危ない)

 

それに、点滴=医療行為なので、病院じゃないと基本的に使えません。

 

食べることは生きること

ご飯が自分で食べられる状態って、体の機能が高いんです。

 

  1. 箸・手を使って口まで運ぶ
  2. 口で噛み砕く
  3. ちゃんと飲み込む
  4. 胃や腸がきちんと働く

 

これができなくなると…太い赤字の方法で、代わりができます。

  1. 箸・手を使って口まで運ぶ→食べさせてくれる誰か
  2. 口で噛み砕く→柔らかい食事〜流動食、どろどろした栄養剤
  3. ちゃんと飲み込む→鼻からチューブ・胃瘻を作って、直接胃に栄養剤をいれる
  4. 胃や腸がきちんと働く。消化吸収できる(そして排便できる)→血管内に栄養価の高い点滴剤を投与

 

鼻から管より、楽そうだし、点滴がいいと思うかもしれません。

楽ではないのです。

そんな簡単ではないのです。

 

ごっつい点滴、中心静脈カテーテル

ふつうの点滴は、長期間はできません。

基本的に数日間で差し替えです。

また、十分なカロリー投与ができないんです。

生きるのに必要なカロリーを含んだ濃い点滴をいれると、むちゃくちゃ痛いです。

血管炎が起こります。

 

で、そういうときに使うのが中心静脈カテーテル(central venous catheter:CVC)

簡単にいうと、ごっつい点滴。

 

適応

ずーっと、絶食になる患者さんに使います。

意識がない方や、消化器の病気でご飯を長くお休みする方、など。

 

(医療で、よくカテーテルって言葉が出てきますが、カテーテル=細い管って理解でいいです)

 

入れ方

このごっつい点滴をいれるときは、小さな手術に近い処置が必要です。

丁寧に消毒して、刺すところに局所麻酔をかける。

で、特定の血管から、心臓付近の太い血管まで細い管をいれる。

挿入してるところは、動かないように皮膚にぬいつける。

 

(特定の血管=鎖骨の下・首・足の付け根。

 医学生・研修医向けに表現すると、鎖骨下静脈、内頸静脈、大腿静脈。最近出てきた腕からのPICCは、尺側皮静脈・上腕静脈…まあエコーで確認して入りそうなとこです)

 

CVポートという、皮下に埋め込み型のもあります。

これは、いれるときは小手術。本当に医療用です。

 

 

安全にずっと使える??

この中心静脈カテーテルですら、一生という長期間には向きません。

長く使うと、リスクがあるんです。

 

感染の原因になる可能性があるのです。

血管にずーっと細い管が入ってる=ばい菌の入り口になる。

血液にばい菌が入って全身をめぐる、という、いきなり重症な感染症を起こす原因になります。

 

あと位置がずれるというトラブルがあります。

心臓側にずれると不整脈の原因になったり。

 

特に、高齢だと、しばしば間違えて点滴を引っこ抜きます。

中心静脈カテーテルを無理やり抜くのは、危ないです。

認知症の人に絶対やらないのは、このあたりが理由です。

 

点滴は医療行為

医療と介護

近いところにありますが、明確に違います。

医療行為には、医師の監督が必要です。基準が、国によって定められています。

 

よって

点滴が入っていると、介護施設への入所が難しくなります。

中心静脈カテーテルなんてごっつい点滴は、特に。

 

選択肢は、病院か、特別環境を整えた自宅になります。

病院は、病名がついている方で手一杯です。他に病気なく、ただご飯が食べられなくなった方に、栄養投与のための長期入院は難しいです。

 

だからといって、今の日本で、自宅での介護は……またこれは泥沼にはまりそうな話であります。

 

あと、中心静脈カテーテルでの高カロリーの点滴は

鼻からチューブに比べると高額です。

 

元の状態から結構遠い

  1. ご飯を食べる
  2. 鼻からチューブ・胃瘻で栄養をいれて、胃など消化器を使って栄養を吸収する
  3. 点滴で直接血管に栄養をいれる

の順で、元の状態から遠くなります。

元来の消化、吸収の状態から。


その分、トラブルも増えます。

人間はどこかの機能を使わなすぎると、全体のバランスが崩れていきます。


やはり、回復を見込んだ、一時的な、医療行為なのです。

 

食べられなくなった人と医療のバランス

若くして、病気で、中心静脈カテーテルからの栄養がメインの方もいらしゃいます。

まさに医療のサポートが必要な方です。

そうやってサポートを受けながら活躍されている人に会うと、とても嬉しい。

 

では、その医療サポートを、どこまでやるのか。

 

点滴は?鼻からチューブは?胃瘻は?

 

わかりやすく必要な場合はいいんです。

わかりやすく不必要なときもいいんです。

 

微妙なときが大変です。

感情と本能が絡まる上に、正解がない。

 

  • 本人の意思
  • 家族の意思
  • 病気があるか
  • 年齢
  • 回復の見込みはあるか否か
  • 家庭環境  

などを考慮して、どうするか決めることになります。

 

 

いざ決断を迫られたときに

死や老いについて、考えたことがないと非常に辛いです。

本人も。家族も。

 

状況が受け入れられないばかりに

ただ延命を望み、苦しみ与える結果になることがあります。

 

延命行為が、死を受け入れる準備期間となっていればいいのです。

しかし、現在の高齢者の医療介護現場では、ほとんどが、ただの思考停止です。

 

 

とにかく

自分が老いたときに、体に管を入れるか、期間はどうするか

今から考えてみる価値はあります。